「コミティアの創り方」刊行のお知らせ

中村公彦会長就任記念刊行

コミティアの創り方

ティアズマガジンのごあいさつ完全版

A5判/292P/会場販売価格1,000円
コミティア会場内本部横で販売
各地方コミティア「東京コミティア出張委託コーナー」でも販売予定

著者 :中村公彦
装画・挿絵 :山川直人
発行所 :コミティア実行委員会
発行日 :2023年2月19日

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「37年間の格闘の記録をじっくり読んでもらえたらうれしいです」

1984年に始まった自主制作漫画誌展示即売会「COMITIA」のイベントカタログ『ティアズマガジン』巻頭に掲載されている「ごあいさつ」。コミティア実行委員会会長の中村公彦が、代表時代・約37年間に参加者に向けて綴ったメッセージを網羅した完全版!
コミティアと共に人生を歩んできた中村の目線から、日本のマンガ業界・同人誌即売会・創作活動の変化と拡がりを読み解くことが出来る一冊。新代表・吉田雄平との対談も収録。

解説

コミティア実行委員会 三代目代表・吉田雄平

本書は1984年から続く自主制作漫画誌展示即売会「COMITIA(コミティア)」を主催するコミティア実行委員会の二代目代表・中村公彦が、参加者に向けて発信し続けてきたメッセージ「ごあいさつ」を集めたものである。中村はコミティアの設立に深く関わっており、85年の第3回より代表に就任。22年の第142回まで37年間の長きにわたって代表を務めた。コミティアの礎を築き、創り上げた人物と言っても過言ではない。

中村が「はじめに」で本書を『格闘の記録』と表現しているが、コミティアにはカウンター・カルチャー(対抗文化)の精神が色濃いことは数々の「ごあいさつ」を読む上で念頭に置く必要がある。その対立軸は「売れない創作同人誌VS売れるパロディ同人誌」、「小さなコミティアVS巨大なコミックマーケット」、「同人誌VS商業誌」、「同人誌即売会VSインターネット」…など、その時々の時代を反映しつつ移り変わっていく。その立場は中村も意識的であり、『漫画全体の中でのインディーズというマイノリティー、そしていわゆる同人誌メディアの中での創作というマイノリティー。二重の意味でのマイノリティー』(ごあいさつ38)、『「マイナーであること」を開き直ってウリにする同誌(コミックビーム)は、ある意味オルタナティブメディアを指向するコミティアのスタンスに近いといっても良い』(ごあいさつ54)といった言及からも明らかだ。

中村は1961年東京生まれ。幼い頃から漫画に強い興味を持ち育った。漫画に深くのめり込むきっかけになったのは、毎号買っていて大事にしていた漫画雑誌『別冊マーガレット』を母親にまとめて捨てられてしまった事件からだという。高校時代に漫画情報誌『だっくす』(後に『ぱふ』に改名)との出会いをきっかけに同誌編集部に出入りするようになり、編集者として関わっていく。漫画を誰よりも愛し、発行されるほとんどの少年少女漫画雑誌に目を通している自負を持つ一方で、「漫画を描けない」というコンプレックスを抱える中村にとって、漫画情報誌編集は天職であったに違いない。84年、『ぱふ』編集部に在籍していた中村が、コミティアの設立に関わることになった経緯は本書P7「私説 創作漫画同人誌展示即売会概史」の通りだ。

本文は時系列に沿って4つの章に分かれている。第一章となる「揺籃期」(コミティア3~37/85~96年)は、初期の手探り状態のコミティアや、中村の迷いを感じることができるだろう。最初期は書式も定まっておらず文章量からして安定しておらず、読み解きも難しい。最も解説が必要な章と言えるだろう。そうした中でもコミティアの基本スタンスの一つである「描き手と読み手のコミュニケーション」に初めて言及しているコミティア7など、分かりやすく原点を感じられる。

本文中では「おやすみ」とだけしか説明されていない、コミティア10、11で何が起きていたかについて補足していこう。当時のカタログを参照すると、10では「コミティア憲章」として、サークル参加〈描き手〉、一般参加〈読み手〉のコミティアにおける役割を規定した文章を発表。さらに、巻頭に大きな文字で「夢を見よう 未来を語ろう コミティア。」という唐突な煽りが新しいキャッチフレーズと称して入り(その後、特に使われていない…)、11では「コミティアは原点に帰ります」というタイトルの記事で、中村は当時の迷いや弱音を赤裸々に吐露している。カタログの特集記事も「描き手VS読み手」「オリジナルVSパロディ」といった同人誌界の内部対立を煽るもので、不毛な結果になったことは言うまでもない。社会全体がバブル景気に浮かれ、同人誌もキャプテン翼ブームによって二次創作が盛り上がる中、創作同人誌の影は薄かった。手応えのなさからの焦りやもどかしさは相当なものだったのだろう。「ごあいさつ」を書けるような状態ではなかったのだ。

12から26までは劇団「第三舞台」鴻上尚史の影響で、ペラ紙に印刷した「ごあいさつ」としてカタログに挟み込みで配布する形式に変更。内省を終えて、外へと視点が切り替わったことも感じられる。『漫画にプライドを持てる時代にしたい』(ごあいさつ19)の言葉の真意は、89年夏の「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」を受けてオタクに冷たい視線が注がれるようになった時代背景を知らなければ理解は難しい。同回では『コミケットが入場待ちの行列で自らの回りに壁を築いた』と大規模イベントへの羨望を込めた痛烈な批判を展開。弱い立場だったからこそ許される暴論である。中村青年は理想と現実のギャップに苦しみつつ、懸命にもがき続ける自身の姿をアニメ「オネアミスの翼」の主人公・シロツグに当てはめる(ごあいさつ24)。27から32までは前回のコミティアの報告である「アフターレポート」を兼ねる内容に変更。こちらも他とは毛色が異なっている。33からようやく書式が固定された。ここまで10年の歳月が流れている。

第二章となる「考究期」 (コミティア38~72/96~05年)では、参加サークル数が安定して1000を超えるようになり、順調に拡大するコミティアを背景に、中村のメッセージにも自信と活力が漲っており歯切れも良い。『ヒウリ』(ごあいさつ38)、『うんこの町のメリー』(ごあいさつ39)、おざわゆき(ごあいさつ44)、小田扉のサークル「みりめとる」(ごあいさつ47)など作品や作家への言及が増えていくところからも手応えを感じている様子が分かる。並行して商業誌や出版流通への問題定義、漫画の技術論といった広い視点を加えつつ、コミティアの方向性について熱く語っている。漫画編集者との付き合いも増え、ティアズマガジンのインタビュー記事「編集王に訊く」で取材を行った小学館の八巻和弘氏と『コミックビーム』編集長の奥村勝彦氏について『私とほぼ同年齢。そのどちらも漫画を本気で好きで仕事をしていることに感動した』(ごあいさつ54)と書いている。漫画編集者は中村のなり得る未来の一つだったはずだ。

第三章となる「錬成期」(コミティア73~107/05~14年)では、さらなる成功を重ねていく中で、ひたすら拡大していくコミティアの制御に苦心する様子を感じることができる。「拡大版」として入念に準備してチャレンジした東京ビッグサイト2ホール(ごあいさつ80)体制の開催も、その4年後には当たり前の規模になっている。

中村の意識の変化が分かりやすいのは東日本大震災直後に開催された96の「ごあいさつ」だ。『いま描けないでいる人は無理に描かないで良い』『今日はたくさんの人と会って、そのつながりを確認しあえる日』と人が集う場所としての機能にも開催意義を見出している。記念回となったコミティア100では久しぶりに参加したサークルが多く集まり、幾人かから『コミティアはふるさと』と言われたことでもその想いは強まったようだ。実際にコミティアでの活動を軸にしつつ、10年20年かけて大成した作家の例は少なくない。文化庁メディア芸術祭にて功労賞を受賞(ごあいさつ107)した際、マンガ部門の審査員主査を務めた漫画家・みなもと太郎は中村への贈賞理由として『例えば本芸術祭で過去に受賞された武富健治、白井弓子、こうの史代、岩岡ヒサエ、西村ツチカ、おざわゆき、田中相ら各氏。彼らがすべて「商業誌出身者」ではなく、中村公彦氏主催の「自主制作漫画同人誌即売会・コミティア(COMITIA)」で育ち巣立った作家たちであると述べるだけで、中村氏が本賞を受賞される理由は充分であろう。』と評している。

先達の訃報に直面していくようになったのもこの頃だ。岩田次夫(ごあいさつ70)、米沢嘉博(ごあいさつ78)、亜庭じゅん(ごあいさつ95)、ばばよしあき(ごあいさつ117)、みなもと太郎(ごあいさつ137)と続く。いずれも中村とコミティアに大きな影響を与えた偉大なる人物達である。

最後の「而立期」(コミティア108~142/14~22年)について必要な解説は少ない。30周年を彩った記念本「コミティア30thクロニクル」の発行、足元で発生するスタッフ不足を始めとする運営の見直し、北海道コミティア・みちのくコミティア・九州コミティアといった新しい地方コミティアの誕生…。無限に広がり続けると思われたその流れは、コロナ禍の影響を受けた複数回の開催中止により無情にも断ち切られることになる。このピンチをしのぐためにクラウドファンディングが実施されている。このプロジェクトの予想以上の成功(ごあいさつ134)は長年コミティアが培ってきた多くの参加者からの信頼の証だ。

かつてない危機を乗り越えながら、中村はかつて講談社『モーニング』創刊編集長・栗原良幸に言われた言葉「100年を目指せ」(ごあいさつ111)という言葉を胸に、繋げるため代表交代の決断を下す。最後のごあいさつ142で書かれる「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、中村が敬愛する三谷幸喜の名作から。劇中で説かれる舞台人の鉄則とは「一度開いた幕は何があっても途中で降ろしてはいけない」である。コミティアというショウはこれからも続いていく。