COMITIA97 ごあいさつ

描くことも読むことも、すべては生きること。

4ヶ月ぶりのコミティアへようこそ。東京は電力不足で、暑かったり暗かったりしますが(会場も)、何とかこの夏を乗り切りたいものです。さて先日、福島県郡山で開催された「トラベラーズ」という創作イベントに参加してきました。駅前の街並みに震災の爪痕は深いものの、それでも参加者はみな懸命にマンガを描き、この日に合わせて新刊を出したサークルがいくつもありました。描かずにいられない想いがそこには確かにありました。
そうして東京に帰ってくると、生きることと何かを為すことの関わりを考えます。日々それなりに苦労をして、コミティアの事前準備をし、つつがなく年4回開催するのも、何かを為すことです。思えばその長い積み重ねがあって今のコミティアがあるとも言えるでしょう。
一方で、マンガを描くことが生きることの人もいるでしょう。マンガを読むことが人生だ、という人だっているかもしれません。作品に自分の生のすべてを注ぎ込み、嗚咽しながら疾走するような描き手もいれば、心を込めて祈るように線を引く人もいます。描くことも読むことも、すべては生きること。そう思ってずっとコミティアをやってきました。
そろそろ100回を迎えるコミティアは、これまで何が出来て、何が出来なかったのかを考えます。もっともコミティアが始まって約27年、その間に一番変わったのは「マンガ」そのものかもしれません。
90年代に部数的なピークを迎え、その後は緩やかに下降線を辿る商業誌の「マンガ」の存在感はだんだんと失われてゆくようです。かつてマンガは最も安価な娯楽と言われましたが(今でもそのかかる労力に比べると信じられないほど安いと思う)、もっと安価な「FREE」を売り物にするWEBにその地位を奪われたのかもしれません。
WEBはマンガに限らず、何かを表現したいと願う人の自己表現欲求を平等に満たしてくれました。対価よりもコミュニケーション。いまの世代が求めるものはそこにあったのでしょう。
そんな風に商業誌の「マンガ」の地盤沈下が進む中で、それでも描きたいと思う表現者たちが、読みたいと思う読者たちが、リアルに出会える場所として在り続けるのがコミティアの使命なのだと思います。
「コミティアはいつもここにあります。」そう言い続けてきました。その約束だけはいつまでも守りたいと思います。

さて、今回は会場内企画がふたつ。
まず「MGMメモリアル読書会」。今年1月に亡くなったMGM主催の亜庭じゅん氏を偲び、コミティアの出発点ともなった創作オンリー同人誌即売会の草分けMGMの功績を回顧します。メインとなるのはコミティア代表の私が、80年代にMGMの会場で買い集めた創作同人誌の展示。30年近く前の同人誌が、その頃どのように刺激的だったのか。人によっては懐かしく、また、人によっては斬新に見える作品がきっとあると思います。中にはいまも現役で、商業・同人を問わず描き続ける作家の本もあるでしょう。その長い時の狭間に、その描き手の来し方も見えるはずです。そうした創作同人誌の歴史を感じ取れるコーナーになればと思います(詳細は279P)。
もう一つは「メディア芸術祭ネットワークス」。文化庁主催の「メディア芸術祭」はご存知の方も多いと思いますが、毎年2月に国立新美術館(東京)で行われる全体フェスティバルだけでなく、各部門に分かれた巡回展が全国で行われることになりました。そのマンガ部門の巡回展示を東京のコミティアで、というお話をいただいた時には正直驚きました。
もっともこの賞では、07年にコミティアでも常連作家の白井弓子さん(メタ・パラダイム)が同人誌「天顕祭」で奨励賞を受賞し、商業出版されて話題になりました。自主制作作品でも応募できる賞なので、多くの方がチャレンジされることを奨めたいと思います。
なお、会場での展示は、前年度のマンガ部門大賞受賞作の『ヒストリエ』(岩明均)を始め、受賞作6作品の原画などを展示。作品も実際に読める形で展示します。併せてメディア芸術祭の15年の歩みも紹介します(詳細は278P)。

最後になりましたが、本日は直接2771のサークル・個人の描き手が参加しています。夏コミ直後の厳しい日程にもかかわらず、多数の参加に心より感謝します。
今回の自分の担当である「MGMメモリアル企画」に対峙していると、否応なく30年前の自分に引き戻されます。あの頃、何を願い、何を失い、何を得たのか。それは時を経れば、誰しもが経験することでしょう。今日はその気持ちを多くの人と共有できたらうれしいです。

2011年8月21日 コミティア実行委員会代表 中村公彦

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