COMITIA95 ごあいさつ

MGMがなかったら、コミティアも生まれなかった、という証明

まず、哀しいお知らせから始めなければなりません。さる1月21日、創作まんが同人誌即売会MGM代表の亜庭じゅんさん(本名・松田茂樹さん)が肝臓ガンにより逝去されました(享年60歳)。謹んでご冥福をお祈り致します。

MGMという同人誌即売会を体験した人は既に少ないでしょう。コミティアのサークルアンケートでも、参加経験のあるサークルは一桁だけ。名前は聞いたことがあっても参加したことは無いという人が殆どだと思います。最後の開催が2007年で、すでに4年前。その頃は30〜40サークルの規模でしたから、出たことのある人が少ないのも道理です。チラシなども撒かず、自前のサイトも作らず(有志の公認サイトはありましたが)「幻の即売会」とも言われていました。

けれどコミティアにとって、MGMは大切な先達でありました。何故ならコミティアはまさにMGMの模倣から始まったからです。それは単に「創作オンリー即売会」の嚆矢としてだけでなく、マンガを変革しようという意志を持つ運動としてのです。

MGMを知るには、まずコミックマーケット(以下コミケット)の歴史からひも解かねばなりません。亜庭さんや、原田央男さん(コミケット初代代表)、米沢嘉博さん(二代目代表)らが集まった漫画評論グループ「迷宮」が、その運動を実践する場所として、現在のコミケットを創設したのが'75年のこと。それから曲折を経て、「迷宮」はコミケットの運営から離れ、亜庭さんは新しくそのカウンターとして、'80年に創作オンリー即売会「まんがギャラリー&マーケット(略称MGM)」を始めました。

当時のパンフレットにあたる『MGM新聞』での、あえて「射説(しゃせつ)」の字を当てる巻頭言の亜庭さんの舌鋒は鋭く、往時のパロディ(二次創作)が拡大するコミケットへの批判や、同人を取り巻く状況についての熱いアジテーションに溢れていました。それに鼓舞されるように、オリジナル作品を描く作家やそれを求める読者が、MGMに惹き寄せられていったのです。私もまたその「読者」の一人でした。

MGMが最も輝いていたのは、80年代前半の川崎市民プラザという会場で行われていた時代。当時でも200サークル前後だったと思いますが、そこに全国各地から集うキラ星のような才能ある描き手たち。彼らは互いに刺激しあい、より面白い作品を描こうと腕を磨き、毎回新作を持ち寄りました。20代前半の私は夢中でその本を買い、貪る様に読みました。私にとって理想と思える即売会の姿がそこにあったのです。そこから広がった交流からコミティアが産まれ、いつの間にか27年が経ち、私たちはいま此処にいます。まさにコミティアは、「迷宮」〜コミックマーケット〜MGMという、源流から生まれた遺伝子を受け継いでいます。

けれどコミティアが次第に成長するのと前後して、MGMは会場問題などがネックになり、ゆるやかに縮小に向かいました。次第に発信をしなくなった亜庭さんに焦れて、コミティアから何かMGMに協力を出来ないか、と提案したこともありましたが、やんわり断られました。私は失礼を承知で「亜庭さんはMGMをどうしたいんですか? もう終わらせたいんじゃないんですか?」と聞くと、彼はこう答えました。「終わらせ方が判らないんだよ」と。それを聞いて私は「もう此処に来るべきではないのだ」と悟ったのです。かつてのMGMを求める私たちはもう此処から立ち去って、後ろを振り返ってはいけないのだと。

亜庭さんはきっとさり気なくフェードアウトすることを望んでいたのです。最後は誰も来なくなって終わる即売会というのも潔いと考えていたのでしょうか。残念なことにMGMは、その手前で主催者の他界という形で幕を閉じてしまいました。それもまた彼らしいのかもしれません。一人の人間の人生で何が出来て何が出来なかったのかを見せてくれたのですから。その意味では「MGMという運動」は亜庭さんの作品だったと私は思います。本人は雲の上で苦笑するでしょうけれど。

1月16日、入院していた病院に亜庭さんを訪ねて、少しだけお話しすることが出来ました。元気な頃には言葉にする必要もないと思っていた、MGMの思い出話を最後にいろいろしました。その時、亜庭さんから「途中で手を離した(だから自由にやれただろう)」と言われて、ハッとしました。自分は自分で親離れしたつもりでしたが、亜庭さんもそれを意図していたんだと今更気づきました。さらに「君も無理をしないように」と言われて、思わず泣き笑いするしかありませんでした…。

かつて、印象的だった亜庭さんの言葉があります。とある即売会主催者が、継続のために後継者を育成する必要を説いたところ、彼はそれを否定したのです。曰く「その精神は教えるものではなく、形を変えても必ずどこかに受け継がれていくものだ」と。往時は嫌なことを言う人だなあ、と思ったものですが、いままさに私はそれを問われる立場にあります。それは私が「亜庭じゅんチルドレン」を自称する理由でもあるのです。

…亜庭さんのことを書こうとすると、あまりにも個人的な生の感情が溢れてしまい、巻頭の挨拶文としてはそぐわないものになったかもしれませんが、今回ばかりはどうかご容赦ください。まだ個人的アイデアの段階ですが、今年の8月のコミティアで「MGMメモリアル企画」を何らかの形で行いたいと考えています。不肖の息子の最後の親孝行として。

最後になりましたが、本日は2212サークル/個人の描き手が参加しています。最後のビッグサイト1ホール開催で、やはりキャパシティ不足により300近いサークルの方が落選となり、たいへん申し訳ありません。次回以降、通年2ホール体制とし、なるべく落選のストレスの無い形で開催したいと思います。よろしくご参加ください。

最近、何かの「終わり」を意識することが多くなりました。「祭り」は必ず終わるものと言います。そしてピリオドがあるからこそ、それは美しいのかもと思います。作品に必ずエンドマークがあるように、描くことにもいつか終わりがくるかもしれません。だとしても、それが納得の行くエンディングになるように、今を全力で生きて描くしかないのです。そして、そんな作品と出会えることが、その「終わりの日」を延ばすこともある、と私は確信しています。勿論コミティアはまだまだ全然終わりません。

2011年2月13日 コミティア実行委員会代表 中村公彦

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