COMITIA76 ごあいさつ

創作における「普遍性」とは――

最近どうも「普遍性」という言葉が気になっています。
漫画に限らず、何らかの芸術表現とは、作品によって「普遍性」を求める行為ではないか?と、ずっと私は思っていたのですが、若い世代には「普遍性」という言葉自体がピンとこない場合があるようです。
確かに創作において「普遍性」と「独創性」は相克するものですし、「普遍性」という概念自体がもとより検証できない抽象的なものです。それより今求められているのは「個別性」であり、個人の嗜好にいかにカスタマイズするかが問われる時代なのでしょう。
昨今の漫画雑誌もどんどん細分化され、ニッチを狙って特殊化しています。「100万部を狙うより、30万部を3冊」とはよく出版社の人が使う台詞ですが、いまの本音は「30万部を狙うよりも、5万部を6冊、そして単価を高く+単行本で採算を取れる作家を確保」でしょう。けれど、こうした流れは商業誌総体としての活力を失う方向のような気もします。
細分化という意味では、パロディも含めた同人誌というメディアはその最たるものかもしれません。その時々の流行ジャンルがあり、オンリーイベントがあり、そこにファン(消費者)が集います。個人の趣味の追及が主目的ですから、採算は度外視され、商業が成り立たないレベルの個人的なニーズにまでどんどん対応します。「One to One」時代の申し子とも言えるでしょう。
それを可能にしたのがこの世界で独自の進化をした同人誌印刷システム。「○○フェア」という形で、印刷フォーマットに合わせた小口注文を大量に集め、まとめて刷って単価を下げる。普通なら考えられない特殊なビジネスモデルが、一種のインフラとして今の同人誌マーケットを支えています。
かつてマスコミに大衆という概念がなくなって、分衆という言葉が生まれました。そして分衆からさらに個の時代へ。その意味で、個人的嗜好の集合体のような「オタク消費者」が、さも今もっとも大きなカテゴリーのようにマスコミに語られるのが時代の皮肉です。
そういう時代に「普遍性」という概念自体が疑われるのは仕方がないのでしょうか。
余談ですがインターネットの普及もそれに拍車をかけた気がします。
「検索」ボタンを押すと、いきなり何万件とか、何百万件とかの数字が現れます。それ自体が気が遠くなるような数だとしても、カウントされてしまった実数があり、それ以上(以外)の事案は存在しないと、つい感覚的に思い込んでしまいます(もちろん検索システムがすべてを網羅している訳ではないことは頭で理解していても)。「普遍性」という不可知の筈の概念が、「よくわからないけれど○○件」というリアル?な計数に置き換わった時に、そこにあった幻想も剥ぎ取られてしまったのかもしれません。
けれど、私は思います。それでも創作者は「普遍性」を目指して欲しいと。
自己表現とは、個人が、距離や時間を越えて世界とつながりたい、という本能的欲求ではなかったか? 国や人種を、言葉を越えてすら共有できる強い感情がある。自分の想いや考えを、虚構(フィクション)を使って、時代を超えて記録し、伝えることが出来る。それを実現するのが「想像力」という目に見えない力です(ここでジョン・レノンの「イマジン」を引き合いに出すのはさすがに卑怯)。
描く人はきっとその願いを何とか形にしようとして、読む人はそこに作者の見つけた真実を読み取ろうとして、作品に向き合うのだと思います。それは例えば今日、即売会の机の前を歩く見知らぬ誰かが、ふと足を止めて、自分の本を手に取り、中を確かめて買ってくれる。そんなありふれた、けれど感動的な出来事の中にも存在するかけがえのない真実です。
コミティアはただシンプルにそこにあって、誰かと誰かがつながれた喜びを感じていたいと思います。世界とはその積み重ねと広がりで出来ているのですから。

今回の会場内企画は「村田蓮爾×robot」展。その絵のクオリティの高さと、CGを駆使した新しい表現の可能性を堪能してください。出張マンガ編集部企画は角川書店より3編集部の登場です。チャレンジャーをお待ちしています。
そしてまたも申込数が過去最大。前回より約130サークル増えて、直接1837/委託110のサークル・個人の方が参加しています。本当にギチギチのレイアウトで窮屈な思いをされるサークルもあるかもしれません。出来る限り落選を出さないための処置ですので、どうかご容赦ください。
最後になりましたが、ここは一日だけ現れるとても小さな「世界」です。いつもは違う場所で生活するさまざまな人々がほんの一瞬だけ交差する「幻のような場所」です。今日という日の誰かとの出会いをどうぞ大切に、慈しんでもらえたらと思います。

2006年5月5日 コミティア実行委員会代表 中村公彦

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