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2015年7月19日(日)
福島・みちのくコミティア1〜創作旅行〜会場内

30周年となる2014年も過ぎ、無事刊行を終えた『コミティア30thクロニクル』ですが、もっと多くの人に、まだ見ぬ未来の読者へ届くように、新たな企画を進めています。その一環として、各地方コミティアや都内書店にて、責任編集の代表・中村公彦が掲載作家をゲストにお迎えして、お話を聞く連続トークショーを開催しました。本ページではそのWEB再録をお楽しみください。第4弾は2015年に新しく始まったみちのくコミティア第1回で開催、東北にご縁のある青木俊直さんと小坂俊史さんの2人をお招きしました。
ゲストのお二人と東北の縁

中村今回のゲストは『クロニクル』第3集にそれぞれ作品を掲載させてもらった青木俊直さんと小坂俊史さんです。お二人は共に東北の岩手にご縁があるそうですね?

青木両親が共に岩手出身で、子供の頃は毎年夏休みに一関にある母方の実家で過ごしていました。だから岩手にはすごく思い入れがあります。

中村岩手というと、「あまちゃん」(※)の舞台でもありますよね。

青木そうですね。ただ「あまちゃん」のモデルになった久慈は沿岸部で、自分の田舎の一関は内陸部なんです。だから、言葉も食べ物もだいぶ違いますね。東北は一県がかなり大きいので、県内でも文化圏が違うことがよくあります。

中村小坂さんはご出身が山口県ですね。

小坂そうです。あまり福島では口に出してはいけない県ですね。

青木長州と会津ですね(笑)。

中村ああ、なるほど。幕末の仇同士だったんですね(笑)。

小坂大学時代は広島で、それから東京に出てきて。2009年から2011年の途中まで、2年半ほど遠野に住んでいました。

中村なぜ東京を離れようと思ったのでしょうか?

小坂単純に「自分が今ここにいなくても大丈夫」と気付いたからです。仕事は一人でやっていましたし、付き合っている人もいませんでした。だから、一度くらいどこか全然違う所に住んでみよう、と思ったんですね。

中村小坂さんはたいへん旅がお好きですね。「わびれもの」(竹書房)という、色々ローカルな所に行って「侘び寂び」を感じて、しみじみする作品がありましたが、北は北海道の宗谷岬から、南は沖縄の波照間島まで、要するに日本の最北端から最南端まで行かれています。それだけ色々な場所に行かれた中で、なぜ遠野に住んでみようと思ったんですか?

小坂初めて行ったのは2008年の秋です。一遍行った場所にはもう行かないことにしているんですが、遠野に限っては冬と春と夏も見たくて、「あと3回行こう」と思ったんです。そうした経緯で、移住する候補地を選ぶ時に遠野にしました。

中村実際に住んでみていかがでしたか?

小坂初体験を求めて移住した土地なので、色々なものを掘り下げていったのですが、東北って何をとっても東北の味みたいなものがあって、掘り甲斐がありましたね。「遠野モノがたり」(竹書房)は遠野での自分の体験が元になってます。

中村主人公のイラストレーター・なのかが、実際に遠野に住んで色々な経験をするというお話ですね。

小坂8割くらいは実話で、あとの2割は想像で描きました。

中村座敷童子も出て来ますからね(笑)。

※「あまちゃん」…2013年に放映されたNHK連続テレビ小説。岩手県の三陸海岸沿いが主要な舞台となる。放映当時、漫画家の間でその日のエピソードを絵にしてWebに投稿する「あま絵」がブームに。青木俊直さんはその第一人者。

震災と漫画家としての立ち位置

中村2011年に東日本大震災が起こり、その後、漫画家の方々がチャリティーの作品を商業出版する形で描き、その収益を寄付する企画が色々ありました。青木さんも、『僕らの漫画』(小学館)と『ストーリー311』(KADOKAWA)に寄稿されましたが、どんなきっかけだったのでしょう?

青木まず、自分の田舎が岩手だったことと、震災が起こって「自分に何ができるだろう?」と考えた時に、できるのは漫画を描いて売ることしかない、と。その時にたまたまチャリティーの企画があったので参加しました。他にも友達の漫画家たちとチャリティー絵はがきやカレンダーを同人誌で作って売ったりしました。

中村実際にこの大きな災害をテーマに描くことは、描き手として悩むところもあったのではないでしょうか?

青木岩手には被災した知り合いが沢山いましたし、見知った土地の悲しいニュースを聞くのはとても辛かったです。『僕らの漫画』には、女の子二人と三陸鉄道っぽい鉄道が出てくる漫画を寄稿しましたが、震災のことにぼんやりと触れつつも、その先の復興を描きたいと思っていました。

「灰色の春」の思い出

中村『クロニクル』第3集に収録させてもらった、小坂さんの「灰色の春」は、前述の「遠野モノがたり」の主人公が住む遠野で被災した体験を描いた作品ですが、描かれたエピソードはほぼ実話だそうですね。小坂さんにとっては、描くのは勇気が要ることだったと思いますが。

小坂踏ん切りがつくまで2年、実際に描くまでさらに1年掛かりました。遠野は沿岸とは離れているので、直接の被害はあまりありませんでした。でも、自分は震災に関わることは何もしなかったんです、結局…。「灰色の春」は震災後1ヶ月くらいの間のことを描いた話ですが、それを正直に描いて良いのかどうか、すごく迷いがありました。仕事はこれまで通りにしていましたが、震災に関わることは何もせず、ボランティアもしませんでした。気付かないふりをして、ただ普通に生活をしていただけでした。

中村実際にそうやって経験したことを、「描かない」という選択もありますね。

小坂描かない、もしくはもっと格好付けて、自分が何かをしたように見せることもできたかもしれないけれど、この「何もできなかった」感じはある意味、自分にとって貴重な立ち位置だったと思います。自分は岩手では完全に他所者だったと思いますし。

中村地元に縁の無い、他所から来た人間がそういう体験をした、と。

小坂そうですね。あそこで暮らしていて、自分のように地震で何も失ってない人間はあまり居ないと思うんです。その居心地の悪さがモヤモヤとして残っていたんです、ずっと。その「自分の存在だけが抜けた感覚」はどこかで描いておかなければいけない、と思いました。

中村その視点がこの作品のベースになっていますね。作中で主人公は地震に遭って、避難所で夜を明かしたりしています。でも、周りの地元の人たちは怖ろしいことが起こるのが判っているのに、他所から来た彼女は全く気付いていません。

小坂3月11日に地震が起きて、13日の昼くらいに電気が復旧しました。それまで何となく把握はしていたんですけど、実際にテレビの映像を見たら、もう沿岸部は取り返しの付かない状態になった後でした。結局、震災関係の番組ってトータルで3時間分くらいしか見ていないですね。もう見ない方が良いと思って、自分でシャットアウトしていました。

中村最後の主人公の慟哭がとても胸に迫りました。青木さんは読まれて、どんなことを感じましたか?

青木「良く描いたな」というのが率直な気持ちですね。事実を伝えている漫画ではあるんですけど、言葉とかソウルとかも含めた、あの時の雰囲気、あの時の感覚、匂いとか寒さとかを含めたものが、中に全部入っているような感じがしました。

「ロックンロール2」の話

中村同じ第3集収録の青木さんの「ロックンロール2」ですが、こちらは説明が難しいですね。

青木ロックが好きだったので、その歴史を伝記ではなく、全然違うモチーフに置き換えて漫画を描いたらどうなるかな、と思いまして。1回目はブルースミュージシャンに関すること、2回目はロックミュージックの流れ、いわゆるベトナム戦争の頃の反戦ムーブメントの中でロックミュージックが歌われていたことを描こう、と思って始めたんですが、すごく変な内容になっちゃいました。あとアゴタ・クリストフの小説「悪童日記」にもかなり影響を受けています。

中村カエルが主人公なんですね(笑)。

青木カエルと宇宙人が主人公なんです。お伽話のような設定で戦争とか差別とかを生々しくも寓話っぽく描くという試みだったと思います。

中村クライマックスは読み返す度に泣いてしまいます。小坂さんの感想はいかがですか?

小坂人物がカエルなので、最初は油断するんですね。「あー、いつもの青木さんかな」という感じで読み始めると途中からどんどんヘビーになって、最後とんでもない話になりますよね。

青木これをある商業誌に持ち込んだら、「いや、カエルばっかり出て来ても…」って言われました。なので、商業誌で出来ないならコミティアで出そうと。コミティアは、自分がやりたいことができる場としてすごく有難いですね。

小坂「いびつな面白さ」ってのもあると思うんです。そういうことも受け入れてくれるのが嬉しいですね。

『クロニクル』で面白かった作品

中村他の収録作の中で、印象に残った作品はありますか?

青木第1集巻頭の内藤泰弘君の「サンディと迷いの森の仲間たち」。これって30年近く前の作品ですよね?

中村1989年発表なので、26年くらい前ですね。

青木この時代の漫画って、僕の中では古く見えちゃうものが多いんだけど、彼の漫画は今っぽい感じがする。彼とは友人ですが、「あ、こいつ才能あったんだ!」ってあらためて思いました(笑)。

中村発表当時、彼は大学生でしたが、あまりにも作品の完成度が高くて、すぐティアズマガジンでインタビューをしました。その後デビューしてから苦労もあったと思いますが、「トライガン」がヒットして、今また「血界戦線」で大人気です。同人をやっていた人がプロで活躍して多くの読者に読まれているのは嬉しいですね。

青木僕はずっとCGの仕事をしていて、漫画から離れた時期があったんですが、コミックスタジオというソフトが出て、「コンピュータで漫画が描けるのなら、もう一回描こうかな」と思ったんです。ただ、その当時の「今の漫画」が分からなかったので、書店に行って手に取ったのが小田扉さん(第1集掲載)の本で、失礼ながら「こんなに変な作家がいるんだ」と思って感動したのも、また描こうと思ったきっかけの一つでした。それで、小田さんも参加していたコミティアにいざ出てみたら、他にもオノ・ナツメさん(第3集掲載)や岩岡ヒサエさん(第3集掲載)といった色々な才能がいて、僕が大学生で同人をやっていた30年前とは随分様子が違ってきたなって思いました。

中村作家さんって、すごい作家がそこにいると、そこに混じって「俺もやるぞ!」という感覚があるんですね。

青木そうそうそうそう。負けているんだけど負けないぞ、みたいな(笑)。最近だと西村ツチカ君(第2集掲載)もそうだし。

小坂僕もそういうことがあって、最初はコミティアには、こうの史代さん(第3集掲載)や山川直人さん(第3集掲載)の作品を見に、たまに来る感じでした。それが2001年に三島芳治さん(第2集掲載)の本と出会って、「これ、絶対コミティアでしか読めないわ」と思って、その次々回からは彼の漫画を読むために毎回サークル参加するようになりました。ガッとスイッチが入ったのは三島さんの漫画からなんです。

中村なるほど。私も三島さんは屹立した究極の個性だなと思いましたが、絶対プロデビューしないだろうと思ってました。

小坂そうなんです、デビューにはびっくりもしましたが、すごく嬉しかったです。

最近注目の作家は?

中村最近の作家さんで意識している人はいますか?

小坂いま一番楽しみなのは、ふかさくえみさん(第2集掲載)ですね。毎回新刊を必ず出してくれるし、どの話にもアイデアが詰まっててとても好きです。

中村新しい表現手法と物語が上手くミックスされていますよね。読んでいる途中からカラーが入ったり、リバーシブルで読むストーリーとか、オルゴール漫画とか、毎回様々な実験をしていますね。

小坂他に『クロニクル』では、ウチヤマユージさんの「LOVER SOUL」(第3集掲載)が印象に残りました。初めて読んだ作家さんですが、即身仏というアイデアはなかなか出ないし、そもそも作り方を知らないですからね。意外性があって面白かったです。

青木僕はおーみやさんの「余命100コマ」(第1集掲載)ですね。可愛い女の子が余命100コマを宣告されて、コマが進む度にほっぺたに書かれた数字がどんどん寿命に近づいていく。最後はリカバーして自分の人生を終えるんですが、アイデアに驚きました。読んでいくと、コマをボンボン飛ばして、何もない真っ白の見開きがあったりする。商業誌でこれやったらアウトじゃないですか。こういうことができるのは同人誌の面白さかな、と思います。

中村これは3年前のコミティア100回記念の時に発表された作品で、「100」という数字がテーマになっているんです。

青木あ、なるほどなるほど! ああ、面白いですね。悔しいな(笑)。

中村色々な実験的作品がコミティアにはあって、「コミティアだからできる」と思って参加してくれる作家さんが沢山いる。そこにまた新しい才能が集まるという、良い循環ができているかな、と思っています。

みちのくコミティアへの期待

中村今日、お二人には「みちのくコミティア」の第1回に参加していただきましたが、その感想と今後への期待を聞かせてもらえますか。

青木何年か前に『僕らの漫画』を売りに、「みちのくコミティア」と同じADV企画さん主催のオールジャンルイベント「ADVENTURES」に来たので、この会場は2回目なんです。今回はこの規模ならではの面白さを感じました。例えば、主催さんがスペースに飲み物を配りに来たりするじゃないですか。全体的に雰囲気がすごく良い即売会ですよね。ここで続けていくことで作家さんも生まれて来るだろうし、場所も育っていくと思うので、ぜひ2回、3回と続けてもらいたいですね。僕もまた参加したいと思います。

小坂こういう地方のイベントに参加するのは初めてで不安もあったんですが、全部のスペースを見て回れる、ちょうど自分の手の中に入るくらいの感じがとても良いと思いました。

中村青木さんがおっしゃるように、続けることで人が来る、育っていく、という所はきっとあると思うんです。そういうことを考えながら、これからも「みちのくコミティア」に来たいと考えています。お二人とも今日はどうも有難うございました!

青木俊直プロフィール
漫画家。コミティアではサークル「ゆるゆるブックス」で参加。大学時代に精力的に同人誌活動を行うが、卒業後はCG作家として「ウゴウゴルーガ」(フジテレビ)などで活躍。2000年頃より漫画に回帰し、『まんがタイムジャンボ』(芳文社)、『@バンチ』(新潮社)などで連載。近年はNHKの朝ドラ「あまちゃん」の「あま絵」作家としても知られる。COMITIA88でチラシイラストを担当。
小坂俊史プロフィール
漫画家。1997年『ウルトラ4コマ'98』(竹書房)掲載の「せんせいになれません」でデビュー。4コマ漫画誌を中心に活躍し、連載多数。2002年、盟友・重野なおき氏と商業誌ではできないことをやろうとサークル「ジャポニカ自由帳」を結成。同名の二人誌をコミティアで発表し続けている。ティアズマガジン65で表紙イラストを担当。