COMITIA87 ごあいさつ

コミケット初代代表・霜月たかなか氏との対話

「歴史にif〜もしも〜はない」と言いますが、このifほど、後のマンガ界に影響のあるifはないかもしれません。
「もしも、コミケットが初代代表から二代目の米澤嘉博氏に引き継がれなかったとしたら?」
今回の連載「外から見たコミティア」は特別版として、『コミックマーケット創世記』(朝日新書)を上梓された(コミティア会場内ジュンク堂書店出張販売コーナーで販売中)、コミケット初代代表の霜月たかなかさんと私・中村公彦の対談という形で、コミケット創設当時のことを語ってもらいました。
今の参加者は伝説としてしか知らないと思いますが、34年前コミケット第一回の参加はわずか32サークル。その多くは創作サークルでした。と言うより当時は日本全国でも100サークルあるかないか、それも創作サークルかファンクラブしかなかった、と言った方が正しいでしょう。コミケットは最初、創作サークル振興のために生まれたイベントだったのです。
しかし、70年代後半アニメブームの時期に急増したパロディ作品の氾濫をよしとしなかった初代・霜月氏は「引退」という形で抜け、二代目の米澤さんが引き継いで、現在のコミケットの「全てを受け入れる姿勢」に方向転換しました。
前後してもう一人のコミケット創設メンバー・亜庭じゅん氏も袂を分かち、創作オンリーの同人誌即売会MGMを始めます。若き彼らは自らの主張を真正直にぶつけ合い、身をもってそれを実践して見せました。当時二十歳前後だった私も彼らの行動や発言に多大な影響を受けました。まだコミケットすら3〜400サークルの時代。そんな即売会黎明期の出来事でした。
その後のコミケットの、そして同人誌というメディアの百花繚乱たる成長ぶりは皆さんご存知の通りでしょう。
最初の問い「もしも、米澤さんが二代目コミケット代表にならなければ?」=「今の同人誌文化は存在しない」とはっきり言い切ることが出来ます。それ以後のコミケットとは、創造のカオスを望んだ米澤さんの理念そのものだからです。同時にそれを守り育てるための様々な歪みや軋みを引受けられたのも、独特ののらりくらりとした個性を持つ米澤さんならではでした。
一方でコミケット当初の「創作同人誌から新しいマンガの表現を」という理念は、MGM、コミティアへと引き継がれました。その意味でコミティアは、実はコミケットの最古の遺伝子を持つ同人誌即売会とも言えるでしょう。
霜月さんと対話しながら私は、歴史が多くの偶然と必然の積み重ねで出来ていることを実感していました。目の前のこの人がいなければ、私もまたこの場にはいないだろうということ。さまざまな「歴史のif」を想いながら、自分はこの遺伝子を引き継げたことに感謝しています。
四半世紀を迎えるコミティアの歴史もまた、多くの偶然と必然の積み重ねによって今日に至ります。もし、これまでの何かが欠けていれば、いま此処にいるたくさんの描き手とも読み手とも出会えなかったかもしれない。此処で発表される幾千万の作品も形にならなかったかもしれない。そう考えると私たちは、過ぎた日を後悔しないように精一杯この場を支えてゆくしかありません。そうすることでしか、この遺伝子を次の世代に引き継ぐことはできないのですから。

さて、ここでがらりと話は変わりますが、「dictionary」(CLUB KING発行)というフリーマガジンのマンガ特集号(126号)で、コミティアを紹介してもらうことになりました。ティアズマガジン85の表紙を描いたアンコウさんのウェブマンガも載っています。無料なのに豪華な内容で、お会いして驚いたのが主催はなんと桑原茂一さん。往年のYMOやスネークマンショーのファンならご記憶の名プロデューサーです。そのため同誌は、タワーレコード、BEAMSといった音楽系、服飾系のショップを中心に配布されます。一般的なマンガファンとは違った新しい層にコミティアをアピールできればと思います。2月20日配布開始予定なので探してみてください。
もう一つご報告があります。次回5月より、直接参加の参加費を改定することになりました。詳細はティアズマガジンをご覧下さい。コミティアの安定した運営のために、どうかご理解をお願い致します。

最後になりましたが、本日は直接2088/委託98のサークル・個人の描き手が参加しています。さまざまな偶然の巡り合わせで今日この場所に集った私達にとって、この日が良い記憶となるよう心から祈っています。

2009年2月15日 コミティア実行委員会代表 中村公彦